どのような気持ちで僕が歌うのかということ。

僕はクラシックの演奏家です。
演奏だけで食べていけてるわけじゃないから、胸張ってプロですとは言いにくいけれど、これまで時間をかけて習得してきた技術と知識にはある程度自信はあるし、これからの生涯をかけて更に品質をあげていきたいと思っている。
ちなみに専門は声楽。


音楽家になろうと決めてから、ずっとまとわりついてくる命題がある。

「なぜ、僕がクラシック音楽を歌うのか」

これをもう少し深く掘ると

「日本人である僕が西洋音楽を演奏する意味はどこにあるのか。価値はあるのか。」

というところに行き着くと思う。



その時々で、それぞれに答えを出しながら、半ば自分を鼓舞し、半ば自暴自棄になりながら、それでもこうして今もなお歌い続け、上達するための努力を続けられているので、まあ少なくとも、人生をかけて付き合うだけの対象には出会えたのだなと思っている。


ところで、この「日本人である僕が西洋音楽を演奏する意味」についてだけれど、この頃はこんなことを思っている。




音楽や踊りや美術、文芸などというものはまとめて、"文化"と呼ばれる。
この文化という言葉、元々は
民を化するのに武器を用いない

というようなところだったようです。

刑罰や懲罰に頼らずに民衆を教え導くことを文治教化と言ったようでどうやらここから文化という日本語がうまれてきた。とても実用的な語感を持つ言葉だったらしい。

それが明治以降、外国から怒涛のように入ってきた知識や考え方を取り入れるために、外国語を翻訳する必要が出てきた。cultureという外来語には文化という日本語が訳語として当てはめられた。

ここから現代につづく文化という言葉のイメージが生まれてくるわけ。


culture とはもともと「耕す」を意味するラテン語の colere から派生していて、農地を耕すということから徐々に「心を耕す」といった意味が生まれていったみたい。

ところで地面を耕して何をするかといえば、それはもちろん農耕なのであって、種や苗を植え、手をかけ、自然の営みの中で、やがて花が咲き実が付き、かけがえのない食料を収穫するという、そう営みがある。culture とは自然と寄り添った技術だということ。


より技巧的な技術のことは別の言葉で technique というようです。自然の営みを超えたより人為的な技術は、culture とわけて考えられているのが西洋の文脈。


ところが、この「耕す」という語感は、culture が文化という言葉に訳されたときに、うまく継承できなかった。この弊害はあるかもしれません。そも、文化とは、自然の時間の流れを邪魔しないように人が手をかけて手を入れて育つ作物のようなもの。たとえ今日自分が死ぬとしても次の季節に実る果実のために苗木の世話をする。そういう物事のあり方ではないか。


ところが、technique の面ばかり拡大されて、目先の評価や自分が賞賛されることに主眼が置かれる。そのためには、次の世代のための畑さえ踏み荒らしてもなんとも思わない、そんな心の動きがあるかもしれない。



話は変わって、今度はクラシックという言葉について。


この「クラシック」という言葉はなんとなく、古典とか、伝統的なという意味で理解されていることが多いと思う。もちろんそういう意味もあるのだけれど、もう一つ重要な語感がある。


classic という言葉は、ラテン語の classis に由来している。ローマ市民を財産によって6つに分けた階級のことだ。その階級の最上級が classici で、そこから変化、フランス語化を経て、英語の classic へと落ち着いた。だからクラシックには、最上級のもの、という意味が含まれている。

WBCは世界最高峰の野球の祭典ということで、ワールド・ベースボール・クラシックとなっている。


だからクラシック音楽家は、単なる古典芸能人なのではない。最上級のカルチャーを継承し現代に再現する、尊い立場なのだ。これは決して驕りではなく、むしろ、そういう高尚なものに人生をかけてとりくんでいくのだぞという自戒をこめての謂だ。



僕は、日本という土地で、クラシック音楽という上質な糧を生産する農夫となりたい。クラシック音楽は何も西洋人のためだけのものではない。その culture の恩恵は、僕たち日本人だって享受してもいいと思う。人類にとっての貴重な果実がクラシック音楽なのだ。それを育て、より良いものとして次の世代に受け渡す手助けをしたい。僕自身が、その果実が実る土の善き耕作者でありたい。


いまはまだその美味しさを知らないたくさんの人の前に、この果実の素晴らしさを提示したい。現代においても、未来においても。



だから僕は昨日より今日、さらにクラシカルな演奏家になれるように、一所懸命練習をし勉強をする。自分の心と身体を耕し、より美しく楽しく美味しい音楽の果実がそこに実ることを目指して。